闇の歴史 『影武者』
2013年 07月 28日
次第に忘れ去られていく先祖と徳川の出来ごとを記します。
薄幸の貴公子『駿河大納言忠長』
徳川三代家光の弟にて、聡明で諸藩大名に人気があるが故に、
家光側近の謀略に依り、28歳で将軍家争いに敗れ切腹を命じられる。
そこで我が先祖の登場です。
徳川家康と関係が有ったが故、五代遠藤式部政久の子彦七郎が代腹自決し
忠長候は遠藤屋敷に潜伏し以後、苗字を変えて血族したと伝承される。
墓所も藤枝市市ノ瀬に遠藤家先祖に囲まれひっそりと立つと言う。
地元でも次第に知る人が無くなってきたので、
墓所および先祖の栄華の跡を捜してみようと思います。
▲忠長の墓と伝えられる胴が六角形の宝筐印塔
久し振りに瀬戸川を登ってみました。
市ノ瀬に入り古老に伺い、目的の墓所にたどり着きました。
山の中腹に苔むした風格のある宝筐印塔と、先祖代々の墓がズラッと並んで、
不思議な懐かしさを覚えました。
薄幸の貴公子『駿河大納言忠長』
徳川三代家光の弟にて、聡明で諸藩大名に人気があるが故に、
家光側近の謀略に依り、28歳で将軍家争いに敗れ切腹を命じられる。
そこで我が先祖の登場です。
徳川家康と関係が有ったが故、五代遠藤式部政久の子彦七郎が代腹自決し
忠長候は遠藤屋敷に潜伏し以後、苗字を変えて血族したと伝承される。
墓所も藤枝市市ノ瀬に遠藤家先祖に囲まれひっそりと立つと言う。
地元でも次第に知る人が無くなってきたので、
墓所および先祖の栄華の跡を捜してみようと思います。
久し振りに瀬戸川を登ってみました。
市ノ瀬に入り古老に伺い、目的の墓所にたどり着きました。
山の中腹に苔むした風格のある宝筐印塔と、先祖代々の墓がズラッと並んで、
不思議な懐かしさを覚えました。
藤の瀬会館の側ですね
ずいぶん前ですが一度行きました
たまたま貰った藤枝の観光地図に載っていたので
なんでこんなところに?と
温泉のついでに行ってみました
江姫に溺愛された三代将軍家光の弟ですね
あのあたりは今川にまつわる史跡は多いし
興味深くてときどき散策してます
ずいぶん前ですが一度行きました
たまたま貰った藤枝の観光地図に載っていたので
なんでこんなところに?と
温泉のついでに行ってみました
江姫に溺愛された三代将軍家光の弟ですね
あのあたりは今川にまつわる史跡は多いし
興味深くてときどき散策してます
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by
audrey-gregory at 2013-07-29 16:55
大正時代に氏族の家系図や、歴史を調べた人がいて、偶然その資料が手に入ったのでルーツや歴史を知りたくて出掛けてみました。
幼少のみぎりに、親父から利いた記憶もありましたが、記憶切れ切れで初めて先祖と忠長に出会いました。
さらに奥の蔵田の高根白山神社・お君の滝あたりも良い所ですね。」
幼少のみぎりに、親父から利いた記憶もありましたが、記憶切れ切れで初めて先祖と忠長に出会いました。
さらに奥の蔵田の高根白山神社・お君の滝あたりも良い所ですね。」
by audrey-gregory
| 2013-07-28 06:33
| つれづれ
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Comments(2)