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狐と狸の日々つれづれ


by audrey-gregory
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異端と言われても

江戸時代の仏像は装飾的で職人的でキンキラとして、
なんだか仏教の本質から離れているように見える。
こんな職人から見たら、円空仏は仏像には見えないでしょうね。
異端と言われても_d0212491_23581564.jpg
最近、街の石屋さんに言われた話です。
「〇〇先生のわらべ地蔵は彫りかけみたいで、ありゃあ仏像じゃあないねー」と。
異端と言われても_d0212491_23424982.jpg
技術の優劣はともかく、どっちが仏教の本質に迫っているか?
石屋さんの足元にも及ばない生徒や僕たちOBの作品ですが、
ひと彫りひと彫り、慈悲あるわらべ地蔵を目指しています。
気持はみんな円空。
Commented by 江雄 at 2016-11-23 07:47 x
プロの石屋さんは、やはり営利が中心なのでしょう。芸術の本質が分かっておられない気がします。
命の源から生み出されて、庶民の哀歓とともに生き、彼岸の浄土を願う中に、円空の芸術は宿っているものだと思います。そこにあるのは、上手につくろうとか、きれいにしようとか、そんな邪心は全くありません。
ただただ、思いのままに彫るのみなのでありましょう。
その意味でわらべ地蔵は円空に近いと、小生は勝手に思っています。
「円空に 思いを馳せて わらべの眼」
Commented by audrey-gregory at 2016-11-23 18:30
本道であるはずの円空仏が、異端と言われたのは、
上辺だけを追う当時の風潮からでしょうか。
昭和になるまで掘り起されず、急に日の目を見るというのも、
仏像彫刻のあり方としては奇異に思うのですが、
芸術一般に往々にしてある現象ですね。
商品を作るというスタートが違うので、石屋さんの話も聞き流せるのですが、
仏を彫るという気持ちは忘れたくないものです。
by audrey-gregory | 2016-11-19 15:00 | わらべ地蔵・石仏 | Comments(2)