異端と言われても
2016年 11月 19日
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江雄
at 2016-11-23 07:47
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プロの石屋さんは、やはり営利が中心なのでしょう。芸術の本質が分かっておられない気がします。
命の源から生み出されて、庶民の哀歓とともに生き、彼岸の浄土を願う中に、円空の芸術は宿っているものだと思います。そこにあるのは、上手につくろうとか、きれいにしようとか、そんな邪心は全くありません。
ただただ、思いのままに彫るのみなのでありましょう。
その意味でわらべ地蔵は円空に近いと、小生は勝手に思っています。
「円空に 思いを馳せて わらべの眼」
命の源から生み出されて、庶民の哀歓とともに生き、彼岸の浄土を願う中に、円空の芸術は宿っているものだと思います。そこにあるのは、上手につくろうとか、きれいにしようとか、そんな邪心は全くありません。
ただただ、思いのままに彫るのみなのでありましょう。
その意味でわらべ地蔵は円空に近いと、小生は勝手に思っています。
「円空に 思いを馳せて わらべの眼」
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audrey-gregory at 2016-11-23 18:30
本道であるはずの円空仏が、異端と言われたのは、
上辺だけを追う当時の風潮からでしょうか。
昭和になるまで掘り起されず、急に日の目を見るというのも、
仏像彫刻のあり方としては奇異に思うのですが、
芸術一般に往々にしてある現象ですね。
商品を作るというスタートが違うので、石屋さんの話も聞き流せるのですが、
仏を彫るという気持ちは忘れたくないものです。
上辺だけを追う当時の風潮からでしょうか。
昭和になるまで掘り起されず、急に日の目を見るというのも、
仏像彫刻のあり方としては奇異に思うのですが、
芸術一般に往々にしてある現象ですね。
商品を作るというスタートが違うので、石屋さんの話も聞き流せるのですが、
仏を彫るという気持ちは忘れたくないものです。
by audrey-gregory
| 2016-11-19 15:00
| わらべ地蔵・石仏
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