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狐と狸の日々つれづれ


by audrey-gregory
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無理

「30年彫らなきゃ、魂なんて入らんよ」と挑発するように言った石屋さん。
その言葉に、あほらしいと投げ返した四年前。
無理_d0212491_0125811.jpg
▲石片仏(コッパ仏)

手を合わせる人がそれぞれの思いを込めてくだされば、それで良いと思う。
無心で彫っていれば、魂なんて余分な事は考えませんし、
そんな力はありません。
最近、その石屋さんの彫ったお地蔵様を見た・・・

「魂を入れたほうが良いですか?」とお客様に聞かれますが、
魂存在の確信が持てないので答えられない。
Commented by  江雄 at 2016-04-21 21:36 x
この石屋さんの「上から目線」の発言は、小生が最も忌み嫌うものです。魂というものはいかなるものなのかは、誰にも解らないし、人それぞれの解釈があると思います。
そんな魂というものを石仏に入れるというのは、あまりにも作為的で人為的なものであり、石仏には全くそぐわないものものだと思います。
小生のイメージでは、魂は、「行雲流水」すなわち雲が飛んで行くように、水が流れていくように、自由自在に漂っているものではないかと思っています。
とにかく無我夢中で作らせて頂く、邪心ばかり起こってなかなか無心になれないけれども、全身全霊をかけて作らせて頂く。そんなときにふっと魂が訪れるのではないかと思います。拙い陶芸をしながら、そんなことを感じます。
その石仏を見たら自然と手が合わさるようなときに、その石仏に魂が宿っていると言えるのではないでしょうか。この木っ端仏を見ながら、思わず手を合わせてしまいました。
「石仏や 魂(たま)はいづこに あるや否」
Commented by 山水 at 2016-04-21 23:48 x
もともとこの石の中にいて 少しだけ手でなぜてやったら現れたようなわらべ地蔵さんですね
↓の今でしょのお地蔵さんよりこちらを好みますが私は・・
Commented by audrey-gregory at 2016-04-22 05:57
私たちは何のためらいも無く仏教を先祖の宗教としています。
しかし驚くほどその内容を知らないままとらわれている。
一度、仏教徒呪縛から解き放たれて
素直に仏像と向き合っても良いのじゃあないでしょうか。
無心になって、無心で彫った仏像を見て、自然に手を合わせる。
いや、合わせなくても良いですから、理屈無しで向き合ってください。
人それぞれ、何を感じるか、感じないかもしれませんが、
それも有りだと思います。
Commented by audrey-gregory at 2016-04-22 06:09
山水さん、ありがとうございます。
荒取りをすると、握りこぶし程の欠けらがいっぱい出ます。
これも大事な石として彫らせていただきます。
手の中でひっくり返しながら、彫るところを探し、
ここぞと見つけたら、ちょっとだけ手を入れます。
稚拙でも出来上がると愛おしくなりますが、さっきまでは石片でした。
自分の彫った石に癒されるって変ですよね。

by audrey-gregory | 2016-04-21 15:00 | わらべ地蔵・石仏 | Comments(4)